新着情報news column

「ウシからのメタンガス排出低減をもたらす素材
「カシューナッツ殻液」の発見とその活用

環境への取組

2021/9/28

ウシに代表される反芻動物は世界に約34億頭棲息しており、うち9割以上が家畜化されたものである。ウシに限れば16億頭が飼養され、体重換算すると、すでに全人類のボディマスと同程度となっている。人口増加で「地球は満員」といわれて久しいが、ウシまで考慮すると、排出される呼気CO2量は膨大で、地球は過密状態と言っても良い。おまけにウシは主要消化管である第一胃(ルーメン)での飼料発酵によりメタンガスを生成し、大気中へ排出するため、近年の地球温暖化の一要因として注目されている。常時メタンガスを排出し続けているウシには「気候犯罪者」のレッテルまで貼られる始末である。全世界の総温暖化ガス(CO2換算)の約4%をルーメン発酵のメタンガスが占めており、その低減が望まれている。

ウシが家畜化され約1万年が経過しているが、草類を主食とすることで、人類と食競合することなく、アミノ酸バランスに優れたタンパク質(乳肉)を供給し、全世界で食文化の醸成に貢献してきたのも一方でまた事実である。このようなウシと今後どう向き合っていくのか、現在我々は岐路に立たされている。ここでは、ウシの排出するメタンガスを低減する素材の探索とその飼料化、さらに低減のしくみについて、近年推進されている研究成果を踏まえつつ紹介したい。

ウシのルーメンで生成するメタンに関する研究は50年以上前から推進されていたが、ウシのエネルギー要求量を査定するためのものであった。飼料エネルギーの2-12%程度がメタンで失われるため、それを考慮し、飼料設計を実施するわけである。一方、メタンを減らせば飼料エネルギーの体内歩留まりが高まり、家畜生産性向上が期待できる、という認識はあった。21世紀初頭からルーメンのメタンと温暖化との関連が大きく報じられるようになり、各国でメタン低減研究プロジェクトが展開されるようになった。私自身も2008年より国からの支援を得て、メタン低減飼料の開発を手掛けることなった。すでに脂肪酸カルシウムなどで数%のメタン低減が可能であったが、より効果の高い新しい素材探索が急務であった。温暖化は今燃え盛る火事のようなもので、5―10年後に対処できる技術(例えば低メタン牛の選抜育種など)では遅く、迅速な鎮火策(メタン低減飼料)が必要だった。

ここで出会ったのが、カシューナッツ殻液(CNSL)という新素材である。CNSLはカシューナッツ産業の副産物であるナッツ殻を圧搾し得られる液体で、塗料等に利用されるが、強力な抗菌作用を有する。植物には紫外線や病原菌など環境要因に対応するための二次代謝産物を生成するものが知られ、カシュー殻には選択的な抗菌効果をもつアルキルフェノール(アナカルド酸が主成分)が集積していた。文献情報を探索すると1971年にアナカルド酸がルーメンのプロピオン酸生成を上げることが示されていた。プロピオン酸生成はメタン生成と拮抗関係にあるため「アナカルド酸を主成分とするCNSLはプロピオン酸増強と同時にメタン低減をもたらすかもしれない」との予想の下、実験を実施した。

効果は絶大で、培養系のメタンはほとんど検出できなくなった(90%以上低減)。おりしも北海道・洞爺湖サミットで環境問題がクローズアップされていたため、この研究成果は注目を浴び、多くのメディア取材を受け、山手線のトレインチャンネルでも紹介された。以後、農研機構で実施したCNSL給与時のメタン精密定量などの諸研究を経て、20%以上のメタン低減効果を確認し(表1)、飼料製造開発に結びつけるに至った。

*, 統計的に有意(P<0.05) ( )は対照区を100とした時の相対値

新しい飼料の利用・普及には、機能の科学基盤が重要である。CNSLのメタン低減のしくみについて解説しておきたい。上述のアナカルド酸の抗菌作用は選択的で、グラム陽性細菌(細胞壁に外膜を持たない菌でメタンの基質となる水素やギ酸生成菌が含まれる)を抑え、グラム陰性菌(外膜を持ちアナカルド酸の界面活性作用に対抗できる菌で、プロピオン酸やその前駆物質コハク酸を生成する菌が含まれる)の増殖は妨げない。よってCNSL投与により、細菌叢の構成がかわり、メタンを少なく、プロピオン酸を多く生成する菌叢が出来上がる。メタンを作るメタン菌に直接作用するのではなく、このようなメタンの材料のやりとりをする細菌に作用する言わば間接的な効果でメタン低減が生じるというのが当初の理解であった。

ところが、CNSLがメタン菌に直接作用し、メタン菌叢の構成をも変えることが近年明らかになってきた。菌叢の遺伝子解析でメタン菌構成が変わるという間接的な証明に加え、メタン菌の純粋培養(メタン菌は培養が非常に難しい)でも選択的な生育抑制がおこることが確認できた(図1)。つまり、メタンの材料(水素やギ酸)を供給する細菌(ルミノコッカス属ほか)だけでなく、その材料を使ってメタンを作るメタン菌の一部(メタノブレビバクター属ほか)を抑制する選択性をCNSLは有することが判明してきた。作用の本体はアナカルド酸の界面活性作用であり、側鎖のアルキル基が細菌細胞壁に潜り込み物理的に損傷を与えると推察している。二次代謝産物としてアナカルド酸を含有する植物は希少で、カシューナッツ(殻)のほかには、イチョウ(ギンナン果肉)が知られる。産業規模的にはカシューがはるかに大きいため、有力な飼料素材ととらえている。

図1. カシューナッツ殻液(CNSL)添加時のメタン生成古細菌
Methanobrevibacter wolinii の表層損傷の様子(左, 無添加;右, CNSL添加)

最後に、農家経営においてメタンを低減することはどの程度の「得」が期待できるのかについて記しておきたい。まだ定量的な研究はないものの、80%のメタン削減をし、削減分のエネルギーがすべて乳肉に転換すると仮定した場合、生産性の向上は約10%になる。10%と言うと少ないように聞こえるが、実は甚大な利益アップである。コーネル大(米)のフォックスらは「肉牛の飼料効率10%向上は43%の利益向上を生む」としている。その内訳は、飼料費の節減、飼養期間の短縮などである。すぐに大幅なメタン低減は難しいものの、低炭素社会にもとめられる新しいウシの飼い方にチャレンジする生産者、ならびにその生産物を優先的に購入する消費者の増加は、社会にもとめられるものである。生産物の差別化など施策的なアプローチも有効であろう。

【プロフィール】
小林泰男(こばやしやすお)
1956年5月28日生
出身学校:北海道大学農学部卒
現所属:北海道大学大学院農学研究院動物機能栄養学(教授)
研究内容:動物の栄養生理と環境負荷低減に関する研究
趣味:ランニング、スノーシューイング

資料請求・お問い合わせ